おひとりさまの地図

シンプルな暮らしと考えたを追求したい。それと、エイブラハム流「引き寄せの法則」を研究中です。

波動の乱れを行動で修正できない

 努力がどれほどの成果を上げるか、人によって大きな違いがあることを見れば、成功の方程式には行動とは別の要素があるに違いないとわかるだろう。

※「お金と引き寄せの法則」314pより引用

 

 このフレーズを読んだとき、長年、疑問に思ってきたことに答えを得たようで、思わず膝を叩きました。。

 

 日本の一般的な学校教育を受けていたら、努力は美徳とされ、努力した人は尊敬される対象です。けれども、努力が必ず成果に結びつくものでないことは、薄々気付いているのではないのでしょうか。私の人生経験からすると、努力が尊敬の対象とは思えません。

 

 なので、「努力は買ってでもしろ!」なんて言われるのは、人を使う側の者が他人をうまく動かすために使うための言葉だと思うようようになりました。ただし、努力するのが好きだという場合は、好きなだけやったらよいと思います。

 

 努力はそれなりの成果を上げるかもしれないけれども、思考の調整によって「てこ」の作用を働かせた人の成果とは雲泥の差があると思われます。しかも、「てこ」の作用が働くと、ほとんど努力しているようには見えません。これは、まだ実践できていないので、他人を観察したいと思います。

 

 中国旅行でのエピソードと結びついたので、ここで紹介します。

 

 団体旅行での食事の場面で、私達の団体は2グループに分かれて円卓に座ることになりました。食事が程なく終わる頃、売り子がサンプル商品を持ってやって来ました。大きなレストランですが、どのテーブルにも一人ずづ売り子がやって来ます。

 

 手口(犯罪ではないですけど)というか、売り込みの手順といいますと、レストランからの歓迎の意味で無料のサンプルがテーブルに置かれます。そして、是非食してくださいと言い、食べ終わったところで、大変お安く販売しておりますと、売り込んできます。

 

 強制ではないので、気に入らなければ買わなくてもかまいません。どの商品も、さほど高額のものではなく、土産品としては妥当な(相場が分からない)値段と思われるので、気に入れば買ってもよいかなというものでした。

 

 売り子の売上はといいますと、私の座った円卓のグループでは誰も買いませんでした。一方、別のグループはほとんどの方が商品を購入していました。後で聞いた話だと、私のテーブルに来た売り子が、「誰も買ってくれなかった。」と愚痴を言っていたそうです。

 

 ここから、私の独断と偏見で見解を述べますと、私のテーブルに来た売り子(A)には、何の問題もありませんでした。売り方が下手だとか、日本語が聞き取れないといったこともありません。ただ、偶然に私のテーブルに座った方々の好みに合う商品ではなかったのです。私と同席の方々が、こういった商品を買わないというタイプの人ではありません。他の場所では買い物していましたから。

 

 そうすると、売り子(A)がテーブルを選んだときに、既に売上(勝負)は決まっていたのです。結局、売り子の日本語が上手だとか、商品の説明が分かりやすいとか、笑顔で販売するといった努力は、今回に関しては売上には繋がりませんでした。なんだかわからないけど、見込み客のいるテーブルを選んでしまうという「運」のよさが仕事の成果に結びついているのです。

 

 きっと、長年の経験で、見込み客を嗅ぎ分けられるのでは?という疑問もあるでしょう。けど、売り子は若く熟練者には見えません、どちらかというと見習いみたいな感じです。また、日本人客の見た目で、見込み客の見分けがつくとも思えません。

 

 引き寄せの法則で説明しずらい部分ですが、言い換えると「運」が仕事の成果に影響しているのです。それも、ほとんど決定的にです。

 

 このエピソードにより、努力(日本語の練習、セールストークを磨くや笑顔の練習)はそれなりに意味があるでしょうが、運(見込み客を選ぶ)には勝てません。

 

 このよくわからない「運」ですが、いつも言い気分でいれば、なんだかわからないけど見込み客のところに行ってしまうということになるのです。

 

 なので、いつも言い気分になるように、思考を調整することなのです。これには、努力が要りますし、結果も予測できません。けれども、楽しそうなので、私は練習しています。

libertyjj.hatenablog.com