おひとりさまの地図

シンプルな暮らしと考えたを追求したい。それと、エイブラハム流「引き寄せの法則」を研究中です。

HSPなる言葉に出会う

第2シーズンを始めるとか言いながら、その後の投稿まで随分と間があいてしまいました。何故かというと、以前のプロ―フィール画像が、今はしっくりこなくなったため、ブログを見るのにストレスを感じていたのです。

 

何とか、新しいプロフィール画像を用意しました。以前のものより、気に入ってます。

 

毎日、お気に入りのブログを巡回しています。ブログ・ランキングもさらっと見ますが、上位ブログはほぼ毎日投稿されています。ただ読む側だと、特に気にも留めなかった毎日投稿ですが、わが身を振り返ると、ブログ記事の投稿までに相当助走をつけないとなりません。毎日投稿の方々には敬服いたします。

 

2018年の記事を投稿していたころと変わらないことは、未だに引き寄せ・潜在意識を探求中であることです。ただ、あの頃のお気に入りブログは全部入れ替わってしましました。後日、紹介できたらと思います。

 

新しく発見した自分はといいますと、どうも私はHSP(ハイリ―・センシティブ・パーソン)の特徴に多く当てはまることです。特に、①視覚、②聴覚、③触覚(嗅覚、味覚は、普通。)の順で、通常人より強いストレスを感じると思います。他者を観察し比較してみると、私が嫌な感じを受けるものに対して、他者は気にならないみたいです。

 

例えば、視覚の具体例を挙げますと、自分の部屋の床の可視率が高いこと、服や置物などがかたずけられているのは勿論、家具なども少ないこと(ミニマリストが目指すところです。)が、非常に重要なのです。なので、人で混雑する場所が嫌いで、これは必然的に住宅が密集している都会もストレスになります。どうしても、人口密度が高く、隣人との距離がとれないためです。

 

居住空間については、そこで長い時間を過ごすことから、床の可視率が高く、クローゼットなどにも空間に余裕があることが必要不可欠です。だからといって、お城のような豪邸である必要はなく、ミニマリストみたいにカーテンもない部屋にパソコンとマットレスのみという生活も困ります。そういうわけで、空間的シンプリストが一番近い表現だと思います。

 

それと、HSPの特徴として1対1の人付き合いを重視するため、グループ女子会、飲み会(4人以上から多数に感じます。)などは、大嫌いです。この特徴には、ひどく納得しています。

 

私は、一人の時間を好みます。静かで、他者からの干渉がなく自由を感じます。重かった荷物を降ろしたような解放感を感じます。

 

でも、世間では「孤独」が恐ろしいものとして嫌われているような表現で溢れています。「孤独」が使われている場面では、「寂しい」につながり、「孤独」はその言葉自体ネガティブな意味をもつ単語だと思います。「孤独」≒「寂しい」はあっても、「孤独」が「自由、幸せ」とつながる文章は見たことがありません。

 

HSPの比率は、米国で15%から20%ということです。HSPなるカテゴリーを知るまで、周囲の人と共感できず生きづらさ感じていました。その理由が分からず、ただその他大勢の人とは理念が合わないのか、自分の考え方がおかしいのかと思っていました。しかし、HSPを知り、別に私は間違ってる訳ではなく、その他大勢の生き方と共感できなくても、そのままでいいとわかりました。

 

初めてHSPの言葉を聞く方のために、HSP精神疾患ではなく、視覚などの感覚の感度が高いという特徴です。感度が高いため、将来への不安など普通の人かよりも強く感じるため、過度なストレスにさらされ続けると精神疾患につながる可能性はあるようです。けれども、自己の特徴を理解できれは、ストレスを避けるように生活することもできるようになりと思います(勿論、避けられないときもあります。)。

 

HSPを知ったのは、「中田敦彦YOUTUBE大学」です。そこでは、書籍も紹介されています。HSPをもっと詳しく知りたいという方、ネットの検索で挙がってくる”まとめ記事”を見るのではなく、書籍をお勧めいたします。最近の書籍は情報が薄いけれども、ネットよりはまっしです。

 

ネット検索であがってくる情報のほとんどは、価値のないゴミ情報だとおもいます。HSPな私からすると、ゴミ情報で溢れているネットで情報検索することも、ものすごいストレスを感じます。あまりにもゴミ情報が多く、一握りの意味のある情報を探すのは、まるで砂金を探すように感じます。

 

HSPは、自己を、その他大勢の非繊細人の価値基準に合わせるよう努力すると疲労するので、自己の特徴を生かせる方向で努力すればいいことがわかりました。これは、エイブラハムの引き寄せの法則の理論とも整合します。

 

HSPを知って、少し生きづらさが緩和されました。

私ブログの「シーズン2」スタート

 

 新たなる目標として、セミリタイア、フルリタイアが、視野に入ってきました。最近はブログ・ランキングの「セミリタイア」カテゴリーを巡回しています。

 

 少し文句を書きますと、「お一人さま」、「〇〇歳代一人暮らし」、「シニア」、「リタイア」といった系統のブログカテゴリーは、キーワードが何故か「貧乏」や「・・・の末路」といった暗い系の話題に偏ってます。

 

 その中で救いなのが、男性ブロガーの内容が具体的事実や数字に基づき説明されているので、自分の将来を考えるうえでとても参考になります。一方、女性ブロガー(全員には当てはまりませんが)は個人情報の開示にひどく敏感なためか、ブログ内容の抽象度が高く、事実や数字ではなくてその時の感覚をメインにした内容になってます。

 

 ブログに何を書くかは自由なのですが、抽象度が高く暗い内容を読むと、なんだかよくわからないけど暗くてジメジメした感じという印象だけが残ります。さらに、不自然に行間をあけて綴られていたりすれば、スクロールするのにストレスがかかります。なのに、ブログ・ランキングのOUTの数値が高めなのです。世間には暗い系の話題が好きな人も相当数いるみたいです。

 

 前置き長くなりました。ここで、ブログを巡回して得た結論(仮説ですけど)はといいますと、自己自慢にならないような内容で、人生後半の毎日の生活を楽しんでいるブログなら、ブログ・ランキングのトップが狙えるのではということです。このブログ勢いあるなと思うのは、どれも希望の残る内容がメインのものです。

 

 という訳で、私のブログ・シーズン2を始めるにあたり、日常生活の小さな喜びや楽しみを虫めがねで拡大して、味わいめでるよう内容にできたらと思います。

 

 エイブラハムの「引き寄せの法則」や潜在意識を活用した願望達成論も大好きです。

(勝手にシーズン1)と分類しました2019年以前のブログ記事に引き続き、何か成果が出ましたら書きたいと思ってます。

備えあれば憂いなし

5月18日の大阪北部を震源とする地震で、私の住んでいる地域も揺れました。幸い、目立った被害は受けずに済みましたので、ほっとしているところです。

 

今回、防災グッズを準備するまでの経緯を書きたいと思います。

 

① 5月18日(午前8時) 相当揺れて、恐れおののく。同日午後、ネットで、「新潟と熊本地震では2日後に本震が来たため、十分に注意すること。また、これは南海トラフ地震の前兆でもある。」との書き込みを発見。

  ↓

  市報で防災準備のチェックリストがあったことを思い出す。その中で、私にとって優先順位が高いものに「簡易トイレ」または「汚物の凝固剤」であると認識し、早速買わなければと準備に入る。

  ↓

  ネットで「簡易トイレ」を検索するも、条件に合いそうな物の入荷が7月中旬となっているため、第二候補の「汚物の凝固剤」を検察すると、こちらは在庫ありとなってるので安心する。

  ↓

  けど、今から注文しても届くのは20日以降になるため、2日後の本震(が来たとき)には間に合わないかもしれないとの考えが浮かんできて、その日は注文せず。


② 19日(午前中)やっぱり気になって、「汚物の凝固剤」の在庫を確認すると、残り10個になっていた。もう、逡巡している暇はない、即座に注文しなければ・・・、でも、もう間に合わないかもしれない、・・・と考えること10分、しょうがないので注文しました。

  ↓

  注文が終わり、私の分が確保されたところでもう一度在庫を確認すると、売り切になっていた。

 

③21日(午後) 無事に「汚物の凝固剤」を入手する。これで、一安心です。

 

 

今回学んだことは、最低限の防災準備は「平常時」にしておくべきだったということです。防災グッズでも、希望に合う物をそろえるには、それなりの時間が必要です。また、何か災害が起こると直ぐに入手できなくなるので、既に時遅しとなります。

 

電気、ガスと水道が止まった場合を想定した最低限の防災用品を挙げてみます。家に留まれない場合は、避難所に行こうと思います。

・非常用ライト、ローソク
・飲料水(1日3リットル/人)
・食料(乾パンなど)
・簡易トイレ
・ウエットティッシュ(体拭き用やお手拭)

 

これって、本当に最低限です。市報に載ってるリストは、膨大でした。

 

今回は、運よく「凝固剤」を入手できて一安心です。けど、「凝固剤」を使う日が来ないことを祈ってます。

創造(想像)して受け取る

(※ 「引き寄せの法則の本質」136pを参照しました。)
 

 例えば、きれいに整頓された部屋でくつろぎたいというのが、今の望みだとします。でも、現実の部屋は散らかっていて、綺麗な部屋にするにはゴミをトラックで捨てなければならないような部屋だとします。そこまで酷くなくても、気合をいれなくては整頓できないような汚い部屋だとします。

 

 エイブラハムからのアドバイスは、「数日間、きれいに整頓された部屋のことを考えなさい。行動に走ってはいけません。自分が、きれいに整頓された部屋に居て、どう感じたいのかを考えない。」というものです。

 

 エイブラハムの引き寄せの法則の書籍では、おなじみの理論です。でも、実際に行うのは容易ではなく、練習あるのみです。

 

 エスター(エイブラハムをチャンネリングしている女性で書籍の著者でもあります。)は、アドバイスに従いました。

 

 数日もたたないうちに、アイデアエスターに浮かび始め、「これはこっち、これはあっちに動かせるわ。これは、人に任せて、これは捨てればいいわ。」と、部屋を片付けたのです。この過程は、願望という肯定的な地点から、きれいな部屋を引き寄せたものです。

 

 これは、うんざりしながら散らかった部屋を片付けたという、「欠落」に注目する否定的な地点から、動機付けられたものではないのです。

 

 この例は、引き寄せたのが、分かりやすく「きれいな部屋」ですが、動機付けが異なると結果(きれいな部屋)も異なるものとなるのです。

 

 比較は難しいけれども、(私の予測では)満足いく「きていな部屋」なのか、そてとも、一応片付けられた「きれいな部屋」となるかです。

 

 汚い部屋を目の前にして、「きれいに整頓された部屋」でくつろいでいる私の感覚を想像する。これをさらに抽象化して、目の前の気に入らない現実を可憐にスルーして、理想の私の感覚を感じてみる。この理想の私になりきってる時間が長ければながいほど、願望は素早く実現するようです。

 

 練習します。直ぐに、現実に引きずられてしまいますけど。

情熱の赴くままに進みたい

 急成長した企業の経営者のインタビュー記事で、よく聞くフレーズ(私の印象に残るものです)があります。

 

「最初は確信をもってやってきたわけではなくて、・・・失敗する可能性もあった。ただ、ちょうどスマホの普及が一気にきて、・・・従来になかった仕組み作りにしたのが大きかったと思います。そして、消費者の間で、シェアリングエコノミーの波がやって来て、これにもうまくのっかることができて成長できたと思っています。」

 

「初めから、世界に注目される最新技術(に貢献できる商品)になるとは予測していませんでした。顧客の(予想外の)要望からヒントを得て、また、顧客から新製品の開発への自発的協力もあって、偶然が重なり、現在の製品が出来上がりました。」


 ああ、そうなのか。ただ自分の情熱に従って進んだんだ、または、バシャール風にいうならば、「自分の心のワクワク」に従った結果なのでしょう。そして、例外なく、このような経営者の方はさらに大きな挑戦に向けて目を輝かせているのです。

 

 こうのように自分の情熱に従って生きていきたいというのが、私の願いです。このような、世界に打ってでようという大きなものでなくていいのです。私に最適のサイズの小さなものでもよいのです(むしろ、大きすぎると腰が引けてしまいます。)。

 

 けど、今現在は、自分の情熱が湧くものが分かっておりません。なので、ずっと同じ場所で足踏みしているような毎日です。

 

 また、一方で、平和で少し退屈な毎日にも満足しています。これが、潜在意識による現状維持機能でしょうか、物理学でいう慣性の法則でしょうか、現状に変化を起こすことが怖くてできないのです。

 

 思わず、体が動いてしまいましたというのが理想です。そんな時が来るのを、じ~と静かに待ってます。そんな日は来るのでしょうか。

 

 情熱が湧くものへの努力は惜しみません。けど、情熱のないものに対して歯を食いしばって努力に努力を重ねることは「修行」です。引き寄せの法則からすると、この修行に明るい未来(結果)はありません。

 

 なぜかというろ、貧欠波動や苦悩の波動の中で行う努力(行動)には、苦悩の結果しかもたらさないからです。これは、私の人生を振り返ってもそのとおりの結果をたどっていることから、私自身は確信しております。

 

 何か変化が生じたら、また記事にしたいと思います。

開運グッズのご利益はなかった

 引き寄せの法則からすると、私が心の底から信じていること、または、潜在意識に浸み込んだ観念とも表現しますが、それが私の周りの現実に反映されます。開運グッズなのなくても、今この瞬間に、幸せな波動を出せるなら、物理的な物は必要ないのです。

 

(※ 思考と観念について、下記の中で説明しています。)

libertyjj.hatenablog.com


 今回の中国旅行で、またまた、私の観念があぶり出されました。

 

 私は、開運グッズを信じていないようです。信じていない人が開運グッズを手に入れても、効果はありえません。もちろん、購入しませんでした。

 

 思い起こせば、今まで手にした開運グッズ、お守り、正月に引くおみくじの知らせ、パワーストーンラピスラズリなどの石)なとなど・・・、どれも効果はありませんでした。これらの経験は、私の観念の証拠です。

 

 話は戻りまして、中国のツアーでは、たびたび土産物屋に案内され、けっこうな時間売り込みスピーチを聞く羽目になります。

 

 その中に、著名な方が書かれた「書」や「絵」の販売がありました。販売担当者の説明では、これらには「富を呼び込み、開運、魔よけにもなる。」といっていました。
しかしながら、作者の方は芸術家として著名な方で、霊能力があるわけではありません。なので、著名な方が書いた(描いた)としても、「開運や魔よけ」に繋がらないように感じます。

 

 だって、私は、ゴッホの「ひまわり」の絵は好きですが、これが「開運、魔よけ」になるとは思えません。

 

 もしかしたら、中国では、「書」に書かれた文字に開運や魔よけの効果があるということになっているのかもしれません。このような場合、中国で育った方は、疑問なく開運効果を信じられるのかもしれません。

 

 私の場合も、日本の「お札」(家内安全等を祈願するものなど)は、もしかしたら、効果があるかもしれないと思えます。これも見た目で判断して、なんとなく効果が・・・という感じです。上に挙げた例よりは、威厳があるように思えます。

 

 さらに進めて、中国文化で育たなかった私から見ると「書」で開運は、どうしてなのか?となり、日本の「お札」も外国人には、どうしてなのか?に見えるのではないのか?という疑問が出てきます。

 

 そして、日本人にのみ効果があるというのもおかしな話なので、私の中の「お札」が効果があるという理論が崩れてしまいます。

 

 結局、行き着いた答えは、信じる者にのみ効果がある!です。これだと、引き寄せの法則とも矛盾なく整合します。

 

 注意点ですが、引き寄せの法則は、開運グッズがなくても自分自身が「幸運な人間である。」と信じれば、その通りなるという理論です。むしろ、根拠なく、自分が「幸運だ」と信じることができるようになることを薦めています。

 

 みなさまも、「開運グッズ」を購入する場合は、十分に吟味してください。

波動の乱れを行動で修正できない

 努力がどれほどの成果を上げるか、人によって大きな違いがあることを見れば、成功の方程式には行動とは別の要素があるに違いないとわかるだろう。

※「お金と引き寄せの法則」314pより引用

 

 このフレーズを読んだとき、長年、疑問に思ってきたことに答えを得たようで、思わず膝を叩きました。。

 

 日本の一般的な学校教育を受けていたら、努力は美徳とされ、努力した人は尊敬される対象です。けれども、努力が必ず成果に結びつくものでないことは、薄々気付いているのではないのでしょうか。私の人生経験からすると、努力が尊敬の対象とは思えません。

 

 なので、「努力は買ってでもしろ!」なんて言われるのは、人を使う側の者が他人をうまく動かすために使うための言葉だと思うようようになりました。ただし、努力するのが好きだという場合は、好きなだけやったらよいと思います。

 

 努力はそれなりの成果を上げるかもしれないけれども、思考の調整によって「てこ」の作用を働かせた人の成果とは雲泥の差があると思われます。しかも、「てこ」の作用が働くと、ほとんど努力しているようには見えません。これは、まだ実践できていないので、他人を観察したいと思います。

 

 中国旅行でのエピソードと結びついたので、ここで紹介します。

 

 団体旅行での食事の場面で、私達の団体は2グループに分かれて円卓に座ることになりました。食事が程なく終わる頃、売り子がサンプル商品を持ってやって来ました。大きなレストランですが、どのテーブルにも一人ずづ売り子がやって来ます。

 

 手口(犯罪ではないですけど)というか、売り込みの手順といいますと、レストランからの歓迎の意味で無料のサンプルがテーブルに置かれます。そして、是非食してくださいと言い、食べ終わったところで、大変お安く販売しておりますと、売り込んできます。

 

 強制ではないので、気に入らなければ買わなくてもかまいません。どの商品も、さほど高額のものではなく、土産品としては妥当な(相場が分からない)値段と思われるので、気に入れば買ってもよいかなというものでした。

 

 売り子の売上はといいますと、私の座った円卓のグループでは誰も買いませんでした。一方、別のグループはほとんどの方が商品を購入していました。後で聞いた話だと、私のテーブルに来た売り子が、「誰も買ってくれなかった。」と愚痴を言っていたそうです。

 

 ここから、私の独断と偏見で見解を述べますと、私のテーブルに来た売り子(A)には、何の問題もありませんでした。売り方が下手だとか、日本語が聞き取れないといったこともありません。ただ、偶然に私のテーブルに座った方々の好みに合う商品ではなかったのです。私と同席の方々が、こういった商品を買わないというタイプの人ではありません。他の場所では買い物していましたから。

 

 そうすると、売り子(A)がテーブルを選んだときに、既に売上(勝負)は決まっていたのです。結局、売り子の日本語が上手だとか、商品の説明が分かりやすいとか、笑顔で販売するといった努力は、今回に関しては売上には繋がりませんでした。なんだかわからないけど、見込み客のいるテーブルを選んでしまうという「運」のよさが仕事の成果に結びついているのです。

 

 きっと、長年の経験で、見込み客を嗅ぎ分けられるのでは?という疑問もあるでしょう。けど、売り子は若く熟練者には見えません、どちらかというと見習いみたいな感じです。また、日本人客の見た目で、見込み客の見分けがつくとも思えません。

 

 引き寄せの法則で説明しずらい部分ですが、言い換えると「運」が仕事の成果に影響しているのです。それも、ほとんど決定的にです。

 

 このエピソードにより、努力(日本語の練習、セールストークを磨くや笑顔の練習)はそれなりに意味があるでしょうが、運(見込み客を選ぶ)には勝てません。

 

 このよくわからない「運」ですが、いつも言い気分でいれば、なんだかわからないけど見込み客のところに行ってしまうということになるのです。

 

 なので、いつも言い気分になるように、思考を調整することなのです。これには、努力が要りますし、結果も予測できません。けれども、楽しそうなので、私は練習しています。

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