受け取った思考と自ら考えている思考
「例えばの話なんですが、冷蔵庫を開けて、ある食べ物が目に飛び込んできて、あ、これを食べよう!と思った瞬間、「だめだよ、違うものを食べる予定だったじゃない」と別の声が聞こえてる。」
~中略~
「あなたが自分ときちんとアライメントしていれば、最初に目に留まったものは、あなたの内面が求めているもの、ということなのですが、あなたはこれまでの習慣から、自分がずっと信じてきた思考にそれを書き換えようとしていまう。」
※「瞑想、そして、満足感」幸せになると、どんどん叶う☆エイブラハム流2017/5/25より引用
受け取った思考に基づく行動が理想なのです。
私の場合、最近になって、やっと受け取った思考なるものが、どんな感じなのかに
気付くことができるようになりました。
とっても些細なことです。スーパーで買い物中に、突然コショウが目に飛び込んできました。すると、すぐさま「コショウ、まだ家にあるじゃない?いらないよ!」と思考(自ら考えている思考)がおしゃべりしてきました。買わずに帰宅しました。
そして、夕食のために炒め物を始めると、コショウが切れてました。
この段階で、ああ、あの時、コショウが目に飛び込んできたのは、意味があったんだとわかるのです。
以前は、受け取った思考を感じ取ることができませんでした。
あるのは、いつも自ら考えている思考なのです。
今でも、自ら考えている思考が受け取った思考だ、と勘違いすることも多々あります。
自ら考えている思考に基づく行動は、残念な結果やがっかりすることなど、期待外れなことが多いのです。
今日も、期待外れな事がありました。
前々から気になってたお店に行ってきました。気になってるのは受け取った思考かな?と、悩んだ末に決意(ちょっと遠いので)しました。
しかし、ちょっとがっかりして帰ってきました。
まあ、気になっていたのは自ら考えている思考だったということが、一つ学べました。